感想等雑記

感想とか日記とかを書きます。気まぐれ更新です。

雑考:新旧『選ばれぬ者』を考える

 天狼傳初演と天狼傳2020はストーリーの大筋は同じなのに大きく曲の内容が違います。その中でも『選ばれぬ者』と『空は知らない~選ばれぬ者』は内容が類似しているけれど、やはり大きく違う……と感じます。


●『選ばれぬ者』
 それぞれの感情の吐露。今聞くと説明的ですらある。それぞれが刀としての頃にどのように感じていたかを具体的に歌う。

蜂須賀「飾られていた(でも本当は武器として使われたかった)」(リプライズでは「飾られることも刀の誇り」と思い直す)
長曽祢「虎徹ではないのに虎徹と呼ばれて人を斬っていた」
加州「刀の頃は沖田に折れるまで使われたけど、沖田が苦しむ部分も同時に見て、つらかった。そんな思いは安定にはさせたくない」
安定「たとえ折れても沖田が苦しむところを見ることになっても、自分が一緒に戦いたかった」
和泉守「自分も安定のように最後まで一緒にはいられなかった。でも今更嘆いても仕方ないこと、今の自分に胸を張るしかない」
堀川「選ばれることも選ばれないことも選べない。それは人間も同じこと。刀の時代が終わったように彼らも死んでしまった」(これ、堀川は個人的感情は歌っていないですね。刀の時代の終わりとかつての主たちを悼んではいるかもしれないけど)
安定(他の刀も?)「でも今は自分自身で選びたい」

 ……感情面にはわたしの想像も入りますが、おおよそこのような内容。みんなすごく具体的。

●『空は知らない~選ばれぬ者』
 前作の具体的な供述がバッサリと削られる。「さだめ」「空」のワードが繰り返される。アルバム発売前なので歌詞確認は出来てませんが、おおよそは以下のような内容だと思います。

蜂須賀&長曽祢「飾られることも戦うこともモノはさだめを選べない」
加州「同じ空の下にいても道は違い、想いはすれ違ってしまう」(自分と安定とのさだめは違う。本当は安定とわかりあいたいのに出来ない、という意味だと思う。「こんなに近くにいて言葉も交わせるのにわかりあえない」という寂しさもありそう)
安定「あの日傍にいたかった、戦いたかった」(言葉は違うけど前回と願いは変わらない。でも、前回「わがままなのはわかってるけどどうしても傍にいたい」というニュアンスだったのが今回は「仕方のないことだけど、本当は傍にいたかった……」くらいになっているように感じる)
和泉守&堀川「歴史は変えるわけにはいかない。今の自分に胸を張るべきだ。自分たちはそれぞれ違う事情を抱えているけれど、苦しんで(あるいは悲しんで)いるのは同じだ(「同じだけど違う、違うけど同じ」はそういう意味かな、とわたしは解釈)」(「胸を張る」がデュエットになり堀川の想いも今回は語られてますね)
堀川「刀だけでなく人間もまたさだめは選べない。それは空が存在するように当たり前のこと」
安定「わかってるよ。でも……」
全員「人の命は雪のように儚く、散ってしまうことは悲しい。涙が込み上げるけれど、自分たちは(涙がこぼれないように)ただ空を見上げるだけ」

 加州、和泉守は前回具体的な事実を歌っていた(加州:沖田の血を忘れられない、和泉守:最後まで一緒にいられなかった)のがなくなっている。特に加州ソロ部分は「同じ空の下にいてもすれ違ってしまう」という抽象的な内容になっている。
 前作との違いとして顕著なのが前作は「自分で選びたい」と言っていたのがすっぱりなくなり「さだめは選べない。受け入れるしかない。空がそこにあるように」という、「空」という人間(刀も)が変えられないものの存在を出していること。作詞されたのがいつなのかわかりませんが、COVID-19を受けての歌詞でもあるのかな……と思ったりします。どんなに意志を強く持っても誰にも選べないことはある……。

●違いを考える
『選ばれぬ者』→個人的事情・感情を強く前面に出し、最後には「(刀の頃は出来なかったけど)自分で選びたい」という結論に辿り着く。
『空は知らない~選ばれぬ者』→さだめを選べないことを「空」になぞらえて、自分の悲しみを受け止めている。

 ……ざっくりいうと、こんな感じ? 「選べない→自分で選びたい」から「選べない→選べないものは選べない。悲しみを受容しよう」へ。こうやって並べると「選ばれることも選ばれぬことも選べない」というキーワードは同じまま、全然違う歌になっていますね……。
 ライブ配信の感想でも書いたのですが、天狼傳2020を見る前、わたしは『選ばれぬ者』は変わらずに使われると思ってました。曲単体としての人気もありそうだし、わたし個人としてもお気に入りの曲だから、また聴きたいというのもありました。だから最初は、驚いたしこの曲も変わってしまうのか、と少しがっかりした気持ちもありました。今は『空は知らない~』も大好きですし、天狼傳2020の流れとしてもこちらの曲が合うように思います。よくよく考えると、『空は知らない~』で繰り返される「空」というワード、2020の曲にはたくさん散りばめられています。序盤の加州ソロの『あかき花 散り紛ふ』は「花火」のことを歌っていますが、花火って「空」に打ち上げられるものですよね。次の『のら猫二匹』も「星」が出てきますが星があるのはやはり「空」です。『かっぽれ』『沈む星』『沈んだ星』にも「空」というワードが出ます。『浅葱色の桜』『あわせ鏡』『夜の海 星冴ゆる』は出るワードは「星」ですが前述の通り星があるのは「空」……。新選組の歌の『浪士(おおかみ)たちの咆哮(こえ)』『士の心 雲より高く』も「天」(つまり、空)が出てくる。……2020の新曲には(間接であれ)「空」がほとんど出てくる……。

 ……ここまで考えて、もう比較するのがこの一曲だけなのあまり意味ないのでは? と思いました……。新旧天狼傳は『刀剣乱舞』『爪と牙』『ひとひらの風』以外は全部変わってるわけで。大筋のストーリーは同じでも、そこに向き合うときの感情が新旧でだいぶ違うのでは……。天狼傳感想でも書いたかもですが、わたしは新旧の違いとして2020では安定が精神的に成長しているように感じていて、

前回安定→自分の望みをきちんと把握出来てない、「沖田くんを守りたい」が「沖田の歴史を守りたい」なのか「沖田の命を守りたい」なのか自分でわかっていない。作中の歴史改変寸前のところで、ようやく「沖田の人生を否定してはいけない」と思う。自分のことに精一杯で周り(特に、安定を気にかけている加州)のことが目に入っていない。

2020安定→自分の望みは「傍にいたい」ということだとはっきりしている。「のら猫二匹」などで加州とコミュニケーションを取り、加州と自分の気持ちが似ていることを知っている。「沖田くんを長生きさせたい」という願望も持ってしまうが、沖田の生き様を目の当たりにして心を入れかえる(ここは前作と同じ)。自分の気持ちだけにとらわれず加州のことをきちんと気にかけている。終盤では病に苦しむ沖田を見て駆け寄りそうになり自分の胸を叩く加州に「僕はお前が死ぬときに何も出来なくても傍にいたい」と言い加州の気持ちに寄り添う。

 歌も沖田を救おうと迷う時の『手を伸ばせば リプライズ』と『浅葱色の桜』だと、浅葱色の桜の方が潔く沖田の人生を受け入れてる感じがします。『浅葱色の桜』には結びの響でも歌われる『未知なる径』という言葉が出てきますが、この『未知なる径』という曲の中にも「選べない」という言葉が出てきます……。身も心も持つ刀剣男士になっても結局「選べない」ことはあまり変わらないのかな、と思ったり……主の命令に逆らって歴史改変、というのは彼らは出来ないわけだし。 前の主という大切な人の死も受け入れなきゃいけない……でも「刀剣男士」という「今の自分」があるのも「これまでの歴史があるから」であって……。ゲームの特命調査で「歴史を守るのは刀剣男士の本能」というのもこの「これまでの歴史があるからこそ、刀剣男士たる自分も存在する」ということに根差すのかもしれない……?

 ところで『浅葱色の桜』は加州ソロの『あかき花 散り紛ふ』とメロディーが一緒の部分があって「闇夜に散るあかき花」と「闇夜に散る浅葱桜」とどちらも「消え行く人の命」を歌っているので、序盤から「死」と「その受容」みたいなのはテーマとして仕込まれていたのかも……。『あかき花~』の色が何故「あか」なのか、最初は「加州の色だからかな? 常に戦場にいていつ散るかわからない自分の命のこととか考えてるのかな?」と思ったけどもしかして「今でも忘れられないあの人の血の」色なのでは……加州は自分や人の命の儚さを考えていたのではなく、沖田の最期を想って歌っているのでは……とこの2曲のことを同時に考えて思いました……。

●まとまらない
 色々考えるうちに話が散漫になってしまいました。新旧『選ばれぬ者』を比較してみたかったのですが、物語における「感情の流れ」が新旧でかなり違うので、一曲だけ比較してもあまり意味がないのかなと思いました。あと天狼傳2020の曲だけでも共通のメロディーが繰り返されたりするので、そのあたりも含めて考えた方がいいのかな、とか。

 まとまらないけどそんな感じのことを考えました。以上。