感想等雑記

感想とか日記とかを書きます。気まぐれ更新です。

【ネタバレ】天伝 蒼空の兵-大坂冬の陣- (2/17ライブ配信)

 普段ミュの感想ばかりですけど、ステも一通り見てます。悲伝、慈伝、維伝は実際に観劇しました。特に好きなのはジョ伝(タイムパトロールらしい話で好き)と維伝(ぐるんぐるん動くセットが好き)です。

※以下の感想にはミュの物語との比較も含まれるのでミュ未見の場合ミュのネタバレも注意です。

 今回は定点版とスイッチング版セット購入しました。なかなか東京に行くことは出来ないので、配信有り難いです。

●定点版

 当たり前ですが全体を映すと人物が小さいので殺陣とか誰がどこにいるのかよくわかんなかったです……山姥切国広が白いからまだ見えるな……くらいで……。舞台が二重構造というか、表側にスクリーンになる壁(?)があって奥にセットがある作りが面白いと思いました。ラスト近くで壁開いて舞台回しながら殺陣してるの「アッこんなつくりなの!? 面白! でも誰が何やってるかさっぱりわからん!」ってなりました。あとなんかあのシーン『じごくのそうべえ』(※)みたいだと思いました。赤い光が多くて燃えてるみたいだし、地獄っぽい。だからって、特に怖いというシーンでもないのが『じごくのそうべえ』っぽいと思ったのかもしれない。

※『じごくのそうべえ』……たじまゆきひこ作の絵本。軽業師のそうべえ他、地獄に落ちた数名が地獄を「楽しんで」しまう話。面白いので未読の方は是非。

●スイッチング版

 ちゃんと人物にフォーカスされると見やすいな……と思いました。定点版、たまに「今喋ってるのが誰かわからない」が発生したけど、だいたい喋ってる人が映されるから混乱がない……。あと二回目の視聴でだいたいストーリーわかったからもっと見やすい、というのもあると思います。
 ライブ配信で一番殺陣のすごいシーンは通信エラーで見られなかったですが、再ライブ配信でじっくり見られたので満足です。みんな戦い方が違って見ごたえがあります。定点版ですごい! と思った壁開けて回転しながらの殺陣は遠目カメラが多かったのであれもっとじっくり見たいな……と思いました。ミュの二部のフィーチャリング映像みたいなのだしてほしい……。
 敵脇差いました。すごいちゃんとあの蜘蛛の足みたいなのもある! あと敵槍ちょっと珍しいですかね?

●総合感想

 定点版、スイッチング版と連続して見たので、ストーリーが他の作品より理解しやすかったかなーと思いました。再ライブ配信も見たし。普段は複数回見るのは体力や時間的に難しかったりして、一回見ただけではわからなかった部分があっても連続して見ることはないから、後日もう一度見てもその時には話を忘れていて結局話がよくわからない……みたいなことになりがちなんですが(理解力と記憶力が悪い)。
 ただ、謎は増えてますね……審神者の手とか未来の山姥切国広の話とか……。

・加州がかっこいい

 ステータスが「かっこよさ」に全振りされてる加州清光ですね……。言動も大人というか、未熟な頃の山姥切国広をちゃんと見守ってたり、成長したことをきちんとほめたり……かっこよさにステータスが全振りされてますね……。「こんなボロボロじゃ愛されっこないよな」って台詞も「こんなボロボロじゃ(もっと武勲をあげないと)愛されっこないよな」って感じで完全戦闘モードで悲壮感ゼロです。
 あと立ち方。ポケットに手を突っ込んで立つやつ。それは可愛いではなくかっこいいに分類される立ち方。
 二部始めの方のコートオフ姿! 図録でしか見れないやつが三次元に! 加州推し審神者の見たいやつをさりげなく入れてくる……このシーン、加州は全然脱いでる意味がないので完全にファンサービス……。

 あと家康VS加州がかっこよかった! 戦ジャンキー家康VS加州清光っていう意外過ぎる対決……「お前がいないと沖田総司に繋がらないだろ!」っていう理由なのがなんとも加州清光。加州は「歴史を守る理由」を既に見定めている。

・ミュ加州とステ加州を比べて

 なんかもう、
ミュ加州→可愛い男の子、猫
ステ加州→かっこいい男性、狼
 くらいの違いがある。わたし、ミュの加州は可愛さ:かっこよさが5:5、「加州は可愛い刀!」という人と「加州はかっこいい刀!」という人との「最大公約数の加州清光」だと勝手に思っているのですが、ステ加州はかっこよさ10割の加州清光だなあ……と思います。戦闘も動作がパワフルというか、ミュ加州だともっと舞うように戦うけどステ加州は一撃一撃が強く重そうに見えます。
 あと言葉選びが荒っぽい。VS家康の「邪魔だっつってんだろ!」とかミュ加州だったらもうちょい柔らかい言い方になりそう。「邪魔ってゆってるじゃん!」とか言葉選びが可愛いのになりそう……(あくまでわたしのイメージですが)。
 ステとミュの性格の割合(?)は加州に限らず全体的にステ男士→かっこよさ多め、ミュ男士→可愛さ多め、になってる気がするのですが、やってる仕事の違いのような気がする……。
ステ男士→とにかく時間遡行軍と戦うのが仕事
ミュ男士→半分時間遡行軍との戦い、もう半分は過去(2015年~)の主に笑顔を届けること
 っていう……。

 大和守安定がステに出たらどんな安定になるんだろう……気になる……。加州みたくかっこよさ10割の安定になるんだろうか……。

・太閤左文字めちゃくちゃ可愛い

 「太閤左文字劇場~!」がすごく可愛かったです。ちょっと方言入る家康……。初見時はまだ(敵なのでは……)と疑っていたので素直に楽しめなかったんですが、二回目以降は可愛い~楽しい~って見られました。
 家康と太閤のコンビがすごく可愛かったです。家康が「小猿」って呼んでるのも可愛い。他の男士に守られる時には自分も戦う! ってあんま言うこと聞かないのに太閤には大人しく手を引かれて走るのとか、仲良しじゃん可愛い……ってなりました。あのシーン好き。
 笑顔を振りまく姿が、初見はやっぱり(敵なのでは……)と怪しく思ってしまったけど、二回目見たらゲームの江雪との回想の「自分が笑えば他のひとも笑顔になる」っていうのを実践してるんだなあと思いました。
 太閤、殺陣を見てレベル高そうだな~と思ったんですが「一人で過去にいる」「自分に縁のある人間の傍にいる」「二つの物語を持つ自分がどんな刀であるべきか知りたくてこの時代に来た」「最後の『自分の在り方がわかった』という台詞」……太閤左文字、修行中だったのでは……。

審神者の手

 少なくとも一名の審神者が殺されて、手を切り取られるという事件が起こっている……。そして「審神者の手(手に限らず身体全体どこでも?)を食べると審神者の力を一度だけ得られる」という、ホラーな設定があることが判明。え、怖い……審神者、刀剣男士の主としての危険だけじゃなくてそんな「マジックアイテムの材料」的な危険もあるってことじゃん。グラムいくらで闇取引されてそう。怖い。
 で、そもそも「誰」の手なのか。どこか別の本丸の審神者の手なのか。それとも、悲伝で襲撃され審神者が殺された時間軸の審神者の手なのか……。
 あとめっちゃ気になったのが顕現が「人間のわたしには無理」という弥助の発言。待って、審神者って「人間」じゃないの……? 物の心を励起するために造られたレーヴァテイル(※)みたいな存在なんです……?

※レーヴァテイル……ゲーム『アルトネリコ』シリーズに出てくる、詩魔法を操る種族。大元の「オリジン」は人工生命体。ベータ純血種(オリジンやその同等存在のクローン)、第三世代 (人間との間に生まれた子供、その子孫)などに分けられる。
 ちなみにゲームは三作あるのですがわたしは1以外は挫折しました……2と3は戦闘が難しかったので……。気になる方、個人的に1はおすすめです……戦闘が難しくないので……。まあPS2のゲームで移植とかもされてなかった気がするので現在プレイするのは難しいかもしれませんが……。あ、1~3の主題歌とヒロイン歌姫の一人は志方あきこ担当です(そもそも自分がプレイした理由)。

 こうなると「審神者とは何か」になってくるな……図録には「物の心を励起する技を持つ者」みたいな説明しかない。世界観設定を読むと「政府には勝算があった、審神者の力である」みたいに書いてあるけど審神者が何者かは「物の心を励起する技を持つ者」としか書いてない。で、わたしとしてはこれまで「2205年の人間は誰でも出来ること」と思ってて、それは科学によって構成されているもの(ここでいう科学は、波動科学とか現在(2021年)においては法則が発見されておらず現代人から見たら魔法のようなもの)だと思ってたんですが……。でも「手を食べると力を得られる」とかなんかもう人間じゃなさそうな感がすごい。やっぱりレーヴァテイルなの審神者……。
 審神者とレーヴァテイルが似た存在なら、審神者が「物の心を励起する」ときの「エネルギー」は自身の力だけでなくアルトネリコ塔(レーヴァテイルは簡単に言えばアルトネリコ塔に力を借りて詩魔法を使う)みたいなものから力を得ているから弥助のように代償を必要としない……のかな?

 阿吽形の最後の「真田の刀が手に入ったから顕現しよう」って、敵方にも審神者に相当する何者かがいるのか? それともあの手の持ち主の残りの部分を使って顕現するとか……?(あと再ライブで気づきましたが真田の者たちは「審神者の手(もしくは肉体ならどこでもいい?)がないと顕現できない」を知らないまま「代償は必要」という情報だけ知っていたのかな……? それも刀を回収したいだけの阿吽形の罠だったのでは……なんか、余計にかわいそう……)

・「れきし」に対するミュとステの違い

ミュ「物語(れきし)を守る」
ステ「史実(れきし)を守る」
 ……って感じですね……。義経を北へ逃がしたつはもの、信康を生かしたみほとせ、「諸説、あるがの!」で歴史を守るミュと今回のステは歴史への姿勢が真っ向対立です。
 しかし「今史実とされているもの」があとから「やっぱり違った」と覆された場合は……? その場合、守るべき歴史がなんであったのか、刀剣男士自身にもわからない……? そして「諸説」や「伝説」……ひいては「物語」を否定するなら、刀剣男士の存在自体の否定に繋がりかねないのでは……? と「史実のみを守ろうとする」姿勢、これはこれで危うい気が……。まあミュでも信康を生かしたことを「これは歴史改竄だ」と明石に言われているので「諸説、あるがの!」をあんまり使うのもよくないのかもしれません。

・その他気になった点

・青空みたいな人とは?
 太閤左文字の「(秀吉は)青空みたいな人だった」で息子も一期も納得してたけど何がどう納得出来たんだろう……わたしが知らないだけで秀吉になんかそういうエピソードあるのかな……? 少なくとも秀頼に関してはその言葉で子供の頃の秀吉との記憶が甦って納得したのかなあとか想像は出来るけど……。

・逸話にこだわっているけれども
 巴形薙刀、静形薙刀みたいな物語なき刀剣男士は存在するけどあえて「逸話をつくらねば」みたいなことする必要あったのかな……? 逸話がなくても男士は顕現するのに……? それこそ審神者の特殊能力で、審神者の手を使った程度では実現不可能ということ?
 それともアルトネリコみたいに塔に登録された言語しか効果ない、みたいなシステムで「時の政府の刀剣顕現サーバー」に登録された刀剣男士を顕現してる(エネルギーも塔から得てる)、みたいな設定なのか。だから審神者は代償(命を捧げること)なしに刀剣男士を顕現しているのか(思考がアルトネリコから離れない)。

・歴史の自浄作用という設定
 「刀剣男士がその時代から離れたら歴史の自浄作用で勝手に忘れられていく」なんて設定前からありました?  わたし自身が細かいことをすぐ忘れるので「えっそうなの?」って思ったんですがもしかして前から言ってたのかな……。

・修行から帰らない(帰れない?)山姥切国広
 太閤左文字によって「未来において、長いこと山姥切国広は本丸へ戻っていない」という情報が明かされた。手紙を読む限り長いこと修行をしているらしいし、単に長引いてる……という解釈もできるけど、物語的になんらかの理由で「帰れなくなっている」状態でこの先それを助けに行く話とかもあるのかな……と思いました。

・答えが「本能」はあまりよくない理由に思える
 山姥切国広、歴史を守るべき理由を問われて「本能だから」はあまりに「自分自身の意志」がなさすぎでは……。加州清光は「沖田総司に出会うため、今の俺であるため」一期一振も「今の主に与えられた使命」と心を決めているのに、山姥切国広……。修行前の山姥切国広は「山姥を切ってないと思っているのに山姥切と呼ばれている、写しであることに悩んでいる」という刀で、何故戦うか? という問いに「だってなんか顕現されたから」くらいの気持ちしかないのかもしれない……。修行後なら「あんた(審神者)に見出だされたから。理由はそれで十分」とハッキリ言うんだろうけど……。
 そう思うと、「始まりの五振り」の中でも山姥切国広は不安定な存在……なのかな。加州は前述の通り「沖田に出会うため」、陸奥守も「龍馬が夢見た未来を守りたい」って思ってそうだし、蜂須賀と歌仙も前の主への思い入れや今の主のために、って言ってくれそうな気がする。

・次作が待ち遠しい
 思いっきり話が繋がってるので次作が楽しみです。真田と入れ替わる大千鳥……みほとせパターンですね。しかしみほとせは「家臣たちがみんな殺されて有名になる前の徳川家康」だから入れ替われたけど既に有名な真田と入れ替われるの……? みほとせみたいに「ド派手な刀剣男士も不思議なぱわーで他の人には真田に見えます」みたいにやるのかなあ……。